兵庫県の福崎町というのどかな場所があります。
その福崎町に辻川山公園という公園があります。
この公園にある池で、決まった時間に河童が出没することが、テレビなどのメディアに取り上げられました。
なぜ河童が現れるのでしょうか?
どうやらそれには古くから伝わる伝説が関係しているようでした。
そこで、福崎町の河童伝説、河童の現れる時間、なぜメディアに取り上げられる様になったのかを含めて調べてみました。
1.河童の出没場所は福崎町「辻川山公園 」
兵庫県の真ん中あたりの場所に神崎郡福崎町があります。
その福崎町に河童の出現地である辻川山公園があります。
この辻川山公園のすぐ近くには、民俗学者である柳田國男先生の生家や、特産館もちむぎのやかたがあります。
ちなみに福崎町はもち麦の生産地としても有名な場所になります。
2.なぜ公園に河童が出るのか?伝説とは?
河童ですが、池に出る河童と池のほとりにいる河童の2匹がいます。
この河童は兄弟で兄が河太郎、弟が河次郎という名前があります。
兄は池のほとりにおり、弟は池の中から決まった時間に顔を出します。
なぜこのように河童が出るのかというと、1.で少し触れました民俗学者の柳田國男先生の著書『故郷七十年』に由来します。
この中に河童の「河太郎と河次郎」というお話があります。
概要は下記になります。
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福崎町に流れる市川にある駒ヶ岩に住む河童の兄弟がいて、子どもたちにいたずらをしていました。
子どもたちは怖がって誰も駒ヶ岩に近づかなくなりました。
河童たちは後悔し、柳田國男先生に謝ろうとし、駒ヶ岩から柳田國男先生の生家のある辻川山公園にやってきました。
二匹は柳田國男先生に会いたくて毎日この池で待っていました。
兄の河太郎は池のほとりで、弟の河次郎は池の中で待ち続けました。
待ったにもかかわらず会えないまま時間が経過し、兄の河太郎は頭の皿の水がなくなり、固まって動けなくなりました。
弟の河次郎は池の中にいたので、今も池の中で帰りを待っているとされています。
↑↑↑以上
この物語はフィクションなので、伝説とされています。
怖いと話題になる河太郎と河次郎ですが、なぜ池にモチーフとなる置物を置いたり、池の中から出現する様にしたのかというと、それは町おこしが目的になります。
目立ったものが少ないという福崎町が、町おこしの一環として始めました。
怖さで人を集めるということが目的だそうです。
それが見事にあたり、話題となって、様々なメディアに取り上げられるようになりました。
3.河童が池に現れる時間
池から現れる河童の河次郎はいつでも見られるわけではなく、出没時間があります。
午前9:00~6:00の毎時0分・15分・30分・45分になります。
間隔が短いので、待っていればすぐに見ることが可能です。
ちなみに妖怪小屋というものも設置されています。
こちらでは河童ではなく、天狗を見ることが出来ます。
天狗も河童に負けずと、怖い仕上がりになているのですが、さりげなく、福崎名産のもち麦を使ったどら焼きを持っているため、ちょっとおもしろい仕上がりなっています。
この天狗は下記時間に見ることが可能です。
午前9:05~午後6:05の毎時5分・20分・35分・50分
河童と天狗の出没時間がズレているので、どちらかが出ていないときはどちらかを見るというかたちで楽しむことが出来ます。
4.まとめ
私も見に行ったのですが、河童の出没時間になると池の周りに観光客の方たちが集まってきて賑やかでした。
動画でも上げましたが、河童の出没時間は短いので、注意が必要です。
楽しさや綺麗さなどではなく、怖さを目的として話題を集め、見事に注目を集めた手法は非常に面白いと思います。
河童の第二弾として天狗が増えましたが、このまま好調が続けばさらなる妖怪が増えるかもしれません(笑)