『日日是好日】「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』の書評

日日是好日は、茶道の本ではありません。

茶道を通して描かれる春夏秋冬の物語であり、茶道を習った人も習ったことがない人でも追体験ができる、貴重な本だと思っています。

「本当にお茶がしあわせを教えてくれるの?」と半信半疑な方は、ぜひ手に取ってみてください。

心を突き動かす「和」の世界が待っていますよ。

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1.日日是好日(にちにちこれこうじつ)について

茶道

著者である森下典子さんは、大学時代から「週刊朝日」でコラムを執筆し、ユニークな経験をもとに出版した「典奴どすえ」でエッセイストとしてデビューしました。

日日是好日は、森下典子さんの自伝エッセイです。

大学生のとき、母の勧めで週に1度「武田先生」の家で茶道を習うことになった典子。

一緒に習う従姉とのお喋りが楽しみで通っていただけの彼女でしたが、うまくいかない就職活動や悲しい失恋、大切な人との死別…様々な経験の隣には、いつも茶道(お茶)が寄り添っていました。

はじめは茶道に不自由と窮屈さ、武田先生の教え方に不満を抱いていましたが、ずっとあとになってストンと胸に落ちる、不思議な体験をします。

これは、お茶を通して描かれる人生の気付きの物語です。

「自分は何も知らない」ということを知る

お点前

“私はなんて邪魔なものを持ってここにいるのだろう”

これは、典子がまだお稽古をはじめて日が浅いころの話しです。

「物覚えは良い方だし、完璧にお点前をして褒められよう」と思っていざ始めるも、全然うまくできません。

悔しい思いをする典子ですが、武田先生の流れるようなお手本を見せてもらって、彼女はハッと気付くのです。

「こんなの簡単にできるはず」「早く褒められたい」というような邪心は、お稽古において不必要だと。

引用文にある邪魔なものとは、おごりとプライドのことなのかなと思います。

邪魔なものに気付いた典子は一歩前進するという、わたしの大好きなエピソードのひとつです。

自然に身を任せ、時を過ごすこと。

沈丁花

“そして、「春分の日」がやってきた。
(もうここまで来れば大丈夫……)”

これは典子がとても心を痛め、喪失感でいっぱいだったときの、冬の話しです。

武田先生の家に咲く冬の花を眺めたり、暦の大寒や立春をお茶のお稽古で感じたり、余計なことは考えず季節を素直に感じながら過ごす典子。

寒い日は心が冷え、少し暖かくなると心も少し浮き上がる。

心と季節が連動しているような感覚を覚えた彼女は、少しずつ元気を取り戻していきます。

早春に咲く沈丁花の香りが漂うころ、彼女は噛みしめるように引用文を心の中で呟くのです。

このエピソードも大好きで、それまで無関心だった暦や季節を意識するようになりました。

2.まとめ

日日是好日(にちにちこれこうじつ)とは、禅の言葉です。

優劣や損得にとらわれず、こだわりを捨てれば毎日が良い日だという意味を持っています。

この言葉は武田先生の家の掛け軸にあり、典子が茶会など様々な場所で目にする言葉でもあります。

さっそく、わたしの好きな言葉にもなりました(笑)

お茶を通しての、しあわせの気付き。

ぜひ体感してみてください。

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